『無常の月』

図書空間『坂本図書』に来ていただいた方はご存じかと思いますが、『坂本図書』では坂本さんゆかりのオリジナルグッズを作り、販売しています。その中で一番新しく生まれたのがカレンダーです。このカレンダーをデザインしてくれたのは、坂本さんとの数々の仕事をご一緒されたグラフィックデザイナーの長嶋りかこさん。どのようにしてこのカレンダーが生まれたのか、長嶋さんに話をお聞きしました。

―『坂本図書』からカレンダーのご相談を受けた時の率直な感想をお聞かせください。

率直に嬉しかったです。りかこちゃんが作っているアレを、「月」に変えて作ってもらえないかなって、坂本さんのご家族の方から相談を受け、それはもう、「もちろんです」と。

―このカレンダーはどこから着想されましたか?

アレというのは私がデザインしてうちのオンラインストアで販売しているカレンダーのことなのですが、それを坂本さんたちが気に入ってくださったことが始まりでした。
そのカレンダーは、年、月、日、の情報にヒエラルキーを無くして、全ての情報を等価に扱ったものでした。けして使い易くはないカレンダーです。
私たちの生活に馴染みのある普通のカレンダーは、太陰暦の誕生によって、時間の流れを年、月、週、日という区分けにて体系付けた、時間のものさしです。それは、私たちの未来予測や効率化や情報共有などに機能しています。だけど私たちが日常でふと感じる時間のものさしというのは、もっと感情的で曖昧なものだったりします。今日の1日が今年1年間の出来事ほどの価値を持つこともあれば、今年1年間がまるで1日かのように感じるほど濃密な密度で生きることもあるように、1年間はこれだけしかないと焦燥したり、逆に1年間はこんなにもある、と間延びもする。その日に起きたことや、その日の体の具合、その日の感情で、年、月、週、日というものの情報のヒエラルキーは大きく変化します。そんな感情的な機微は、年、月、日、の情報にヒエラルキーを無くして、全ての情報を等価に扱ったデザインのほうが合っているように思いました。だからこのカレンダーを見ると、正確な機能は果たさないかもしれないけど、曖昧な心身を測るものさしとしては機能するかもしれない。そんなことを考えてデザインしたものでした。
紙は、デザインの仕事で出た印刷のヤレ紙(インク調整のために必要な損紙)を細かく破って水と糊を混ぜて撹拌し再び紙にしたパルプモールドにシルク印刷をしたものと、市販の再生紙を使用したオフセット印刷のものとありました。で、毎年、年末のご挨拶も兼ねて、坂本さんたちに贈っていたんです。それをある時はキッチンで、ある時はトイレで使用されていたと伺っていましたから、自分が作ったものがそうやってひっそりと、大切な人たちの空間と時間を共にしていたっていうのは、作り手としてはやっぱり嬉しいことです。

―このカレンダーのこだわった点を教えてください。

紙はペラペラな方がいいと希望があったので薄手の紙をセレクトしているのですが、「月」の“物質感”は欲しいなと思って、活版印刷機で、本来の活版印刷の常識では下手くそな部類に入る程にめいっぱい印圧をかけてもらい、凹凸を出しています。大判なので面が広いために圧が逃げやすく、かつ紙が薄いために凹凸を出しにくいため、職人さんは印刷時にクッションのように損紙を何枚か多めに敷いて印刷してくれました。大判の活版印刷機ってあまり存在しないので私も今回初めて見たのですが、HEIDELBERGの漆黒の機体のどっしりとした艶やかさや、インク調節の銀色のつまみが各列でそぞろに並ぶ様子は、なんだかピアノの佇まいそのもののようでした。軒並みデジタル仕様でボタンをぴぴぴと押せば数値化されたインク調節が厳密に行える現在のオフセット印刷機のそれとは違い、ほとんど扱う人間と機械との対話による調整は、李禹煥 の詩集『立ちどまって』に書いてあった「大学生の頃」の一節を思い出させました。

“油やインクの臭いが充満しているなか、何人かの職工たちが顔も服もどろどろに汚れて機械を拭いている。僕の知人もそのひとりで、彼は鼻歌まじりに布巾で夢中で相手を撫で回す。茫然とそれを眺めていた僕は、日頃機械を蔑視していただけに、目から鱗が落ちる思いがした。黒光りする艶やかな存在と、真っ黒な職工の息がぴったり合っているではないか。機械や人間や匂いや油が労働によって結び合った、不思議なエロティックな空間が開かれていた。”

そして同時にこの詩も思い出しました。

「愛」

“僕は彼女が好きで
彼女は僕が好きで

テーブルで向かい合い
微笑みながら食事をする

フォークとナイフを鳴らし
食事は夢中で進んで行く

僕は彼女を平らげ
彼女は僕を平らげる

食事が終わったとき彼女と僕は
席が入れ代わっている

彼女は彼女が好きで
僕は僕が好きである”

活版印刷機を動かす職人と、この古い機械との対話は、きっとこの「愛」の詩にあるような行為なのだと思ったし、そしてそれは、坂本さんとピアノとの労働もきっとそうだったろうな、いや絶対そうだったろうなと、流れる印刷機を眺めながら、ぼんやりと思っていました。そしてスマホで写真を撮りましたが、写真を見ても本当にピアノのようで、“坂本図書のカレンダーを、ピアノのような機械で刷っていますよ”と、坂本さんにLINEで送りたいくらいでした。

―このカレンダーはどこに貼ってほしいですか?

手にしてくださったみなさんそれぞれ思い思いの場所におさまってくれればいいなと思っています。どんな想いでこのカレンダーを購入するのかは、それすらもそれぞれ違うでしょうし。どこであれその空間で静かにその人の気持ちとご一緒できるだけで嬉しいです。
このカレンダーが貼られた空間を想像するならば、私はやっぱり真っ先に、「月」でカレンダーを作って欲しいと言ったご家族の方のことを想像します。闘病中はもちろん、ずっと長年坂本さんのそばにいた方が、「僕はあと何回、満月を見るだろう」という言葉を残した坂本さんのことを考える時、いや考えるというより脊髄のように体そのものなのかなとも想像するのですが、坂本さんという存在がそれでもその体から離れたり、やっぱり体そのものになったり、日に日に変化していくことを、「月」というメタファーを介在して対峙している時間があるんだろうなと想像します。だからその時間とその空間の中にこのカレンダーが機能するならばそれは冥利につきる。そしてそれはやっぱり、このカレンダーは坂本図書のためのカレンダーというよりも、正直言ってしまえば私の中では坂本さんとご家族の方が喜んでくれることを一番にと思って作ったカレンダーだからなんです。

―図書空間「坂本図書」について、この場所のことをお聞きになった時の感想をお聞かせください。

それはすごい試みだなと思う一方で、やっぱり彼が音楽同様に、世に残していく準備をしている、これもその一環である、そのことを感じることの悲しみもありました。坂本さんによる譜面を作るのでデザインをと頼まれた時も、Playing the pianoのジャケットをと頼まれた時も、同じ気持ちでした。もちろん心からやりたいし、全力でやりましたが、表向きは楽しんで、心の中では覚悟して挑む、そんな感じでデザインをしていました。

―図書空間「坂本図書」に足を踏み入れて、どのように感じましたか?

いつでも新しい才能にオープンな坂本さんらしい空間だなと思いました。昔どこかの対談で「常に若さは正しい」と言っていた坂本さんの言葉が好きなのですが、そのまっさらな彼の懐を感じます。

―図書空間「坂本図書」を長嶋さんはどんな時に訪れて、どう過ごしたいと思いますか?

自分にとっての坂本さんという存在が少しずつ変化しています。今は自分のどんどん内側に坂本さんが入っていって、その存在は私の人生の無言の相談役のように真ん中に座ってる感じ。完全に私の自分勝手さと勘違いによるものですが、まるで先祖かのように内側にいる感じ。その存在に対峙してふと自分からでてくる言葉に、安心したり、鼓舞されたり、自分の状況を理解したりしています。本を読んでいい言葉に出会うと必ず、私の中にある言葉を連れてきてくれるのですが、その現象に近い気がします。
だからやっぱりどんな時に訪れるかと言われれば、無言の坂本さんが鏡のように存在するだけでは整理できなくなった時でしょうか。坂本さんの触れた言葉に触れ、自分の言葉を引き出したい時に、訪れたいです。そして私の内側というのは常に変化するから、時間が経っていくほどに、この場所の意味も自分の中で変わってくるように思います。

長嶋りかこ(ながしま・りかこ)
ビジュアルアイデンティティデザイン、サイン計画、ブックデザイン、空間構成など、グラフィックデザインを基軸としながら活動。対象のコンセプトや思想の仲介となって視覚情報へと翻訳し、色と形にする。これまでの仕事に「札幌国際芸術祭”都市と自然”」(2014)、「堂島ビエンナーレ」(2019)、「東北ユースオーケストラ」(2016-)、「アニッシュカプーアの崩壊概論」(2017)、「デビッドリンチ”精神的辺境の帝国”展」(2019)、ポーラ美術館の新VI計画(2020)、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館「エレメントの軌跡」(2021)、「Ryuichi Sakamoto:Playing the piano 12122020」(2021)、「百年後芸術祭」(2023)など。

※『坂本図書』のカレンダーの原型となった年月日のヒエラルキーのないカレンダーは長嶋さんのホームページで購入いただけます。
※ 本記事は坂本図書が不定期で無料配信するニュースレター『Sakamoto Library Letter』に掲載されたものです。このニュースレターでは、毎回、『坂本図書』にまつわる読み物を掲載していきます。 ニュースレターに登録